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そこに店長が居る限り…. ノ巻

日本を中心にアジア、ヨーロッパのフォトアーティストの作品展を行うギャラクシーこと店長ギャラリー。
メインの展示スペースとパーテーションで仕切られたオフィススペースは店長が「バックルーム」と呼ぶ、プライベート空間である。
もちろん、そこにも有り余る情熱と鬼気迫る執念によって選び抜かれた店長の激愛フォトコレクションが息をもつかせぬ勢いでぎっしりと張り込められている。
そして、その「バックルーム」は、店長の石油開発ビジネスの総統本部「インターナショナル・オペレーション・オフィス」。そこには、故郷、コロンビアの生家の古い扉を自らリフォームして製作した重厚な木とガラスが異常に重い店長自慢のテーブルが、細長い空間をより狭苦しく見せるほど幅を利かせている。そして、その嵩高いテーブルの上には、2台も3台もひとりでそんなに要るか?と首を傾げたくなるほどのデスクトップPCがずらりと並び、アートギャラリーとは思えない珍妙なテクノロジー感、滑稽な緊迫感を醸している。

 

時に神妙にエクセルの表計算に打ち込み、時に電話口で、待てど暮らせど配達されないフランスの郵便物、間違った金額を引き落とす宅配業者、ありえない品質の印刷物を納品してくる印刷会社に血道上げて怒鳴りまくる。
時に、オイルカンパニーの部下である “なんちゃってCEO”のワンダラーや人の良さだけが取り柄のボブたちに思いっきり命令口調のダメ出しと激を飛ばし、月末にはネットバンキングの画面を苦々しく睨み「Fack! Fack!」と吠えながら請求の支払いに追われまくる。
そしてまたある時には、アフリカのオイルマネーを操るコンゴの黒幕・銭寅が黒々とした欲望剝きだしの形相で
「さっさと払うもん払ってもらいまひょか〜」と、支払う理由も義理もない自分への賄賂を取り立てにやって来る。
そんな店長の脂ぎった日常リアリティが、非日常を旅するような無垢なアート空間に混然とほとばしる店長銀河。
星の数ほどあるというパリのギャラリーの中でも、日本写真のリアルな現在と店長のしのぎを削るビジネスの現在が一同に公開されているギャラリーは、このギャラクシー以外、他にはないと、いい悪いは別にして、そこだけは胸を張っていいだろう。

日々、パリの片隅にあるギャラクシーのバックルームで、素人目にはなんのこっちゃかサッパリ意味不明な表、マップ、数字だらけの画面を瞬きもせず見つめながら、滑るようなブライドタッチとは程遠い1本指打法でカタカタ、カタカタ、タイピングしているその顔、姿、存在、そういう命の不思議を見つめ続けるチュンチュンとアヒル。それはどう見ても、人間のそれというより、土の中に隠した木の実を掘り返し一心不乱にほおばりむさぼる森の動物か水辺の生き物か…。わたしとアヒルの中では、「カピパラ」が一番それに近い。

カピパラ

むんっ!

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土に埋もれたトリュフのありかをを嗅ぎ当てる黒豚のごとく、あるいは、地雷や爆発物のわずかな異臭をかぎ分けるホリネズミのごとく、地球人類のエネルギー源・オイルの掘りどころを探し当てる店長。
むんっ!と真一文字の唇で勇ましくコンピュータに向かうカピパラ然とした店長が地層の奧に何を嗅ぎ取り、何を思い、考え、何を見つめているのか。
正直、どうでもいい。
それをことあるごとに「キミは僕の仕事に興味を持ってくれない」「キミは僕の仕事を理解しようとしない」と、パートナーとしてのチュンチュンの無関心・無理解を非難し責め立て、嘆き悲しむ店長。

だが、店長よ。ひとの無関心を責める前に、もう一度、自分の目の前にある掘り起こした土に含まれる成分量の数値グラフをよく見るがいい。

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ひとの好奇心をピクリとも動かさない、まったくもってそそられない店長のPC画面

その種の専門知識を持つ理系スペシャリストならいざ知らず、人の噂と芸能ニュース、皇室、テレビ、お笑い、健康、黒い事件簿、シリーズ人間など、食いつく対象はオール「女性自身」であるチュンチュンの俗なハートが、この画面グラフの一体どこにときめき、そそられ、萌え立つというのか。
ひとがわからないことがわかる代わりに、誰もが考えずともわかることがわからない。それもまた、科学の神秘、店長のネイチャーなのである。

地底の油脈は察せても、ひとの気持ちの脈を察し、「そら、そうやな」と受け止め、「まぁ、しゃあない(仕方ない)」と受け流す、ごくごく平凡な処理能力の無さには、毎回、目を見張るものがある。ゆえに、ヤツが絡んだ案件はことごとくあたりまえに済まなくなるのが通例だ。

誰かが約束の期日までに商品を送れないと言っている。でも最悪ギリギリには間に合わせるらしい。たとえば、仕事の場面では往々にしてよくある状況を店長に伝えたとする。そこで。

「う~ん、まあ、仕方がない。○日までに届けば、なんとかなる、か」
「ですね」

と、これ以上余計な波が立たぬよう進んでいく、まずまず順風な航路は、店長がそこに居る限り絶対に見込めない。

「なぜ間に合わないのか!」、「間に合わないのなら、もう必要はないと伝えろ」。

間に立つ者とすれば、「納品が遅れる」ことよりも何より厄介な障害物。それは、一重に、それを「そうか」と、それならばそれなりの段取りで進めるしかない柔和な算段ができない店長、あんたですわ。

もっと言えば、こういう場合、店長が事前に設定している期日は、「なぜ、そんなに早く?」と誰もがのけぞるほどの前倒し進行というのが常である。
つまり、その店長設定の期日が多少ズレ込んだところで、通常の進行スケジュールよりまだ早いくらいだ。にもかかわらず、「 too late!(遅すぎる)」という店長の時間軸もまた、地球に生きるわたしたちには想像もつかない独特の回転スピードで、ズレズレにあらぬ方向へと振り切れていることを留意しておかなければならない。

今朝もまた、せっかく丸く収まった話にわざわざ角を立てる店長のとち狂った判断&時間軸に発狂!という下りから、パリの1日が始まった。
事の発端は、昨年夏のファッション展示会で注文していた2016秋冬の厚手ニット。
当初は6月に受け取れる予定が、デザイナーさんの都合で9月にパリに来たときにお渡しするという連絡を受けたチュンチュン。
さあ、そこからである。
まっとうな人の感覚では、そんな厚手のニットを今もらったところで9月までは着る機会はない。
きっと先方も約束の期日は違えるにはそれ相応の事情があるはずだ。
と、「9月にお願いしますネ」とすんなり待つ。

けれど、店長が相手だと、普通の流れがあたりまえには流れない。ひとが苦労して流れ良くした配管パイプにわざわざ汚物を突っ込んで、さらにひどく詰まらせるようなことを振ってくるのだ。

デザイナーさんのお詫びと予定変更を店長に伝えるやいなや、出た、やっぱり出た、耳を疑う「Oh, too Late!」
はぁ〜!? いったい何が遅すぎるのか。
「今、そんな厚手のニットもらっても、どうせ9月まで出番ないねんから、ええやんか9月で」
僕にとっては何も良くない、なぜ予定が変わるのか、僕は6月にニットを受け取ることを楽しみにしていたんだ!
6月末までに海外郵便で送ってくれるように頼んでくれ。
もはや嫌がらせにしか思えない物わかりの悪さ、聞き分けの悪さである。

なんでそんなわけのわからんおまえのわがままを、わたしが頭下げてよろしくお願いせなあかんねん!このアホが!とボロクソに説諭するチュンチュンと「僕はすぐに欲しいんだ!」「僕の気持ちはどうなるんだ!」と、英語でペラペラ抜かし上げる店長が火花を散らしぶつかり合い、罵り合い、いがみ合うこと15分弱。
ようやく出た、9月だと「too late」なワケ。

「だってキミも知ってるじゃないか。僕は9月にNYに行くんだ。 そのときに、着ていきたいんだ!」

…… それ先に言えよ。
それを最初に言ってくれれば、朝っぱらからこんなに怒り狂わずとも済んだではないか。
ほんま、あんたの頭が一番「too late やわ!! 」と吐き捨てながらも、「NYに着ていきたい」おしゃれ心は尊重してやる、情状酌量たっぷりのチュンチュン。
そのデザイナーさんには7月下旬に送っていただければと、先方もそうしますと、落ち着くべき所に落ち着いたと思いきや、またしても翌日。

「結局、ニットはいつ届くの?」と、きっちり執念深く確かめてくる、さそり座の店長。
「ああ、7月末に着くようにお願いしたわ。だって7月20日まで南仏バカンスで不在になるから受け取れへんからさぁ」
と、言うまでもない当然のことのように答えるわたしに、またしても浴びせられる「too late」。

「僕は一日でも早く、注文したニットを見たいんだ!」
「すでに見てるやろ!見て気に入ったから注文したんちゃうんか!」
「でも、でも、それでも、今、見たい!見たくてたまらない。これは僕のDESIRE(欲望) なんだ」
「そんなしょうもないDESIREにつきあえるか!ボケっ! 」
「もういいよ!キミには頼まない。僕が直接メールするからアドレスを教えてくれ」
「ふん、好きにせぇ! ただし、 メールの件名は DESIRE でな!」

たかだかニット1枚受け取る話に、なぜ、わたしはここまで神経苛立て、声枯らして、髪振り乱して消耗しなければならないのか….
キッチンの小窓から見上げる灰色の空に、タバコの煙を忌々しく吹きかける「やってられへん」この思い。そんなわたしの心を知ってか知らずか、無防備に窓辺に近づいてきて「クククク、ケケケケ」飛び回る小鳥までもが、そして風に揺れる木々のさざめきまでもが、「そりゃ、あんた、店長がそこに居るからさ!」と嘲り笑っているかにきこえる空耳アワー。小鳥たちの言う通り、そう、そこに店長が居る限り、平穏に過ぎる時はない。
ああ、わたしはあと何度、どれほど深く思い知ったところで何の役にも立たないムダな悟りを開かねばならないのだろう。

普段なら難なく運ぶであろう物事が、なぜか上手くスムーズに運ばない。
いつもならあたりまえに済む話がどうにもややこしくこじれ、もつれ、進まない。
そんなときは、どうか耳を澄ませ、辺りをそっと見渡してほしい。
そこにはきっと、「むんっ!」何食わぬ顔で出で湯に浸るカピパラ然とした店長が居るはずだから。

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