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Monthly Archives: February 2017

11 Feb 2017

店長がゆく!アメリカ物語 ー 逮捕 ノ巻

ハートブレイクもサクセスも色とりどりに味わったニューヨークを後に、大好きなグランパが暮らすミズーリ州モネットへ向かう店長。 思えば、わたしがパリに来て3年あまり、オイルビジネスとギャラクシーライフの間を見ては、じいちゃんに会うためのアメリカ行きを画策、計画し、航空券を予約する寸出のところで腎臓結石やら盲腸やらの足止めをくらってきた店長だ。おそらく今回、店長が、多少の無理はしてでもNY展参加を決めた心情には、ミズーリのじいちゃんとの再会含め、思春期から青春期を過ごしたシカゴなど、懐かしきアメリカへの里心も幾分あったはずである。 いよいよこの巻では、店長アメリカ物語の大トロ部分にあたる衝撃の事件があきらかになるのだが、その前に、愛してやまないケントじいちゃんと店長のつながり、その背景にある店長の家庭事情についてもう少し語っておきたい。というのも、じいちゃんに会うためだけに米国の南西部ミズーリまで行きながら、自分の家族が住むコロンビアにまでは足を延ばそうとはしない、家族が暮らすコロンビア・ボゴタに帰りたい、両親や姉に会いたいなどという言葉を今まで一度も発したこともなければ思ったこともない店長だ。店長が「スペシャル」と表現する生い立ちを知ることで、この者が持つ特異な運命と特殊な性格の所以がある意味妥当と納得できたりするからである。 まずは、本サイトにある「さそり座の店長とは」に示した店長家系図をざっと一瞥していただきたい。 店長が生まれ落ちた家庭環境は、一般的な家族のカタチに照らし合わせば、かなり多彩に多妻に込み入っている。 父親のアルフレッドは、店長の育ての母親である本妻のほか5人の女性ともそれぞれに愛情関係を持ち、それぞれに2人ずつの子宝に恵まれている。 そして、認知と養育費という男としての責任、本家の父としての威厳を両肩にドンと背負う度量と甲斐性だけはあったというべきか、店長の父、アルフレッドの女性たちはみな、生まれた子を自分の元で育てるに至っているが、店長の産みの母は店長を産み落とすとすぐ亡くなったため、店長だけが本家・アルフレッドの元に引き取られたというわけである。ちなみに店長の母はシカゴ在住で、店長の本当の出生地はシカゴ。けれど、彼の戸籍謄本、ID、パスポートの出生地は、コロンビアの首都ボゴタ。何かにつけて、「なんやねん!」「どないやねん!」「どっちやねん!」の混沌にまみれた店長のめんどくささは、彼が誕生した初っぱなから決定づけられていたのかもしれない。 そして、この父・アルフレッド。店長がそんな父に抱く感情とは別に、あかの他人のわたしから見れば、ともすれば誠意ひとつの話し合いでは折り合えないこじれたひとの感情にひと区切りのケジメをつけるに必要な経済力、なるほど女性陣たちを魅了してやまないのもうなづける往年の二枚目俳優のような秀眉な顔立ちを持ち合わせたやつであったことは、間違いない。なぜなら、よそに愛人や腹違いの子が大勢いても、「それが何?」と我関せずの心持ちで何不自由なく育つことができたのは、これをいうと真っ向から「I don’t think so」と完全否定してくる店長だが、そんな南米サクセス移民ファミリーのドン、アルフレッドのおかげといえるところはあるだろう。 なにしろ、たとえ父の浮気、愛人、隠し子という複雑な家庭環境ではあったにせよ、夜中にいきなり愛人が押しかけてきた、あるいは母親に手を引かれ連れて行かれたスナックでお母ちゃんと知らない女の人が髪の毛つかみ合ってもみくちゃに怒鳴り合うのを泣きながら見ていた… というような母親と愛人の修羅場やドロ沼の痴情のもつれに幼い心をいためた記憶は一度もないことは店長の数少ない幸運の最たるものだと、わたしは思う。 そしてまた、こう言っては何だが、ともすれば「子どもがかわいそう」といわれてしまうような愛人と腹違いの乳兄弟が数え切れないほどいる生い立ち環境ではあっても、そんな世の常識や予想に反して、すくすくと、今現在もぷくぷく成長し続ける店長。 その半生をわたしなりに分析すると、普通はまま起こりうる問題、およそそうなるであろう困難からはまぬがれ免除される確率が高いことに気づかされる。が、その代わり、普通は起こりようもないような災難、まさかのトラブルを当てる確率は、4打席連続ホームランを記録する打点王なみの異例といえよう。 そんなわけで、このたび店長が8年振りに会いに行ったグランパ・ケントじいちゃんは、店長が名前すらしらない「産みの母」の父親である。 じいちゃんも、その名を口にすることも、娘(店長の母)のことをことさら語ることもなく、店長もそれを敢えて訊ねることはない。 血のつながりは、さも、切っても切れないつながりだが、それが、人が人を思う絆になるかといえば、それはそうとも限らない。 わたしも幼いときからそう思ってきただけに、そういう店長の一見冷淡に思える沈黙の機微には深くうなづけるところもある。 現在もコロンビアやアメリカに暮らす父や母、姉や妹のことは家族として大切に思う気持ちはあるものの、そんな彼らに対する店長のまなざしは、非常に客観的であり、自分とは相容れない性格、考え方、価値感を持つ最も近い他人というドライで冷めた家族観を持っている。が、このケントじいちゃんに対してだけは、ただただ理屈抜きに、じいちゃんが好き! と、なついて、なついてたまらない、おじいちゃん子のそれだ。 たとえじいちゃんの政治イデオロギーに賛成できるところはまったくなくても、たとえトランプ支持派であっても好きな気持ちは変わらない、店長が慕ってやまない唯一の存在。それが、93歳のいまも、わたしにはどことも知れぬミズーリー州にあるモネットという町にひとり暮らすケントじいちゃん、グランパなのだ。 ニューヨークからシカゴへ、そして名前の響きだけでバーボンとブルースが指を鳴らしてボボボンボボンと迫ってきてほしいような名前の街・スプリングフィールドへ飛行機を乗り継ぎ、そこからルート66を西へ向かってえんえん車を走らせ、93歳のグランパ(おじいちゃん)が待つモネットへ。 「ハニー、今、僕はアメリカの心臓部を走っているよ」 と、日本で飲み歩いているわたしのもとへ時折届けられる店長のメッセージ。 アメリカ大陸のどこにも足を踏み入れたこともなければ、州の名前も地理もさっぱりわかっていないわたしが思い浮かべられるイメージといえば、広漠と赤茶けた大地にサボテンが立つ荒涼なアメリカンロードをさも懐かしく眺め見やりながら、ここぞといきってアクセルを踏む店長の得意満面のドヤ顔だけだ。 それって、言ってみれば、「東名高速から中央道出て、小牧からようやく名神。あ、そろそろ滋賀入るわ」みたいなことかいな。と、それが世界のどこだろうとわたしのマップに引き寄せ置きかえ初めて「もうすぐやん。気をつけて」となるチュンチュンもまた、どこまでも狭い日本列島の了見を脱することなき者である。 卒寿九十を超えても尚かくしゃくと元気なグランパの笑顔を見て、ああ、会いに来てよかったと、グランパへの思いひとしおな店長。 グランンパの向かいにはグランパの息子夫婦が住んでおり、日常の買い物や病院に行くなどの世話は彼らがしているが、その息子夫婦はグランパの本当の気持ちをわかっていない、話し相手にもならなければ、白内障のグランパのケアも十分ではない。だから明日、朝一番で、「僕がグランパを眼医者につれていくんだ」という店長の不服と批判。傍から見れば、それはいわば、何年ぶりかにたまに都会からやってきて、毎日面倒見ている本家の「義姉さん」にああだこうだケチをつける小姑のそれであった。   東京とミズーリ。12時間の時差も考えず、ひっきりなしに店長が送ってくるグランパの生活、グランパの日常をしみじみと思いながら、考えさせられたことがある。それは、老後の独居、老後の寂しさ、老後の孤独をさも哀れなものとして、世間も本人も悲しめに思いすぎる日本の風潮だ。 毎朝、しわしわの痩せこけた腕で小麦粉ミックスをかき混ぜ、パンケーキを焼くグランパ。雑然と自分の興味や関心のある本や物にあふれた部屋には、絵描きでもあり美術教師だった頃の作品や若かりし頃の家族の写真が飾られ、夜になると長年慣れ親しんだ長いすに横になり、なんの酒だろうか、自分でろ過して貯蔵したアルコールをちょっと舐めるように飲み、眠りにつく。 そして、スーパーやレストランにお出かけの日は、ここぞと政治メッセージ色の強いTシャツに着替え、社会に物申す個の気概を失わないグランパ。 そのライフスタイルは、極めて気ままなひとりぐらし、でしかない。ダイナーで頬ばるピザの味、食後になめるソフトクリームの味は、初めてそれを食べた5つの頃から93歳のいまに至るまで「おいしい」のひと言。なんら変わらない。きっと、ひとが年をとるというのは、そういうことなのかもしれない。それは、ことさら哀れなことでも、ことさら素敵なことでもなく、あたりまえのこととして。     グランパと過ごす日々に、何を思い、何を感じたのか、自分の思いや感慨をすくうように言葉にする情緒的な話はほんまに苦手なサイエンティストな店長だが、久しぶりに訪れ見たアメリカの町、アメリカの人々、アメリカの現状について、良くも悪くも、変わらないあきらめと確信を得たようなことを洩らしていた。 そして、「また必ず会いに来るから!」と固いハグと約束を交わしグランパの家を後にした店長は、その日中にまたスプリングフィールドからシカゴに飛び、翌日にはパリに帰国するはずであった。   さて、ここまで引っ張りに引っ張られながらも、まだかまだかと読んでくれている辛抱強いみなさん。お待たせしました。まさかの「アメリカ入国不可」も空振りに終わったNYも、すべてはこの時のためにあったのかとのけぞるような店長の大一番。 今日の、そのとき、は、ここからです。 その朝、学芸大のレンタルマンションで目が覚めたチュンチュン。 朝一番の尿意に身を起こし、枕元の携帯を手に取ると、えっ、 なにコレ?? 犯罪映画かドラマのメインビジュアルのように、あやしげにカメラを見つめる店長と女性の写真に「誘拐犯容疑」のタイトルが打たれたニュース画像。 そして、アヒルからのやいのやいののメッセージ。 「チュンチュ〜ン、起きた? 起きた? 店長が、店長が、誘拐犯で捕まってる〜!!!!」 いや、ほんま、しかし、だから、なにが? 信じられない事実をつきつけられたときに浮かぶ言葉というのは、せいぜい、そんな程度だ。 とにかく、「フォーカス!」ばりの店長ニュース画像をクリックし、あたりまえだが全文英語で書かれた記事をどうにかこうにか読み込めば、そのモネットの町で誘拐未遂事件が起きたことはわかった。が、だからといって、そこでなぜ、おまえが捕まるか。 そのモネットの新聞によりますと、木曜の夜、モネットの小学校か中学校だかでサッカーの試合があり、その観戦中に、10歳の男の子が誘拐未遂事件に遭ったと。言葉たくみに連れ込まれた犯人の車から無事脱出したという少年の供述では、犯人は、長髪でメガネをかけたフランス人らしき男とブロンドの女性。で、そのサッカー観戦に来ていた市民のひとりが、この辺では見慣れぬ不信なヤツと、こっそり店長を携帯で写し撮った写真を「きっと、こいつらが犯人ではないか」と警察に持ち込んだ1枚の写真で、「モネット中学校誘拐未遂事件」の容疑者として警察に連行され事情聴取を受けることになった店長。 そんなこと、普通、あるか。いや、普通はないだろう、店長以外。 一応、いま、店長がどういう事態に陥っているのかは、おぼろげにも理解できたチュンチュンとアヒルだが、そんなふたりの疑問は、「で、どうなるの !?」。 しばらくして、店長から届いたメールには、事情聴取の結果、容疑の確証を裏付けるものは何も出ず、ふたりの容疑者は開放されたというモネット町のオンラインニュースが添付されていた。またそれを、電子辞書片手に読み解きながら、ああちゃうか、いや、こうちゃうかと、パリー東京の交信チャットにいそがしく喧しいチュンチュンとアヒル。 容疑が晴れたのなら、とりあえず一件落着ではないかと、店長にメールを送るも何の返信もない。と思えば、いきなり、「ハニー、僕は今、セントルイスの友人の家に向かって車を走らせている。警察は僕を追っている。パリには帰れないかもしれない…」という、次から次へと疑問と不安しか与えない断片的な事実の切れ端のみを送ってくる理系な店長。どうやら、モネットを後にした店長を逃すまいと、市民タレコミの店長フォト(上の写真)を手にしたポリスが高速道路から空港に至るまで捜査網を張り巡らせ、店長の消息を追っている。そんな意味不明なスリルとサスペンスの渦中にある、店長のミッドナイトラン。 もういい。もうわかった。とにかく、あんたは逃げている。で、そこから自分、どうすんの? と、こちらが何を質問しても、返事はない。 しばらくあって、店長から来た続報はこうである。 「ハニー、アモール、僕はいま、セントルイスの友人の家にかくまってもらっている。たったいま、新たな警察の事情聴取を終え、身の潔白が証明された。その記者会見のテレビ取材のために、スカイプの待機中 NOW 」 えぇぇぇぇぇ、あんたテレビに出るのぉぉぉぉ!!!! しかも、まさか、NY出発前、あわや店長アメリカ入国不可の危機に備えたアヒルとわたしの軍議の中で飛び出した「スカイプ」ネタが、いまここで回収されるとは。 もう、何が何だかおののきたまげ、あわわ、あわわとアヒルに打電し、店長テレビ出演の一報を流すチュンチュン。Webマスターのアヒル、出演動画の保存キャプチャー待機という連携プレイにより捕獲した店長テレビ画像は、こちら!   そして、容疑が晴れた記者会見のテレビ放映後、まだあるか、「逮捕状請求の危機」を報せる店長のメッセージ。 直訳すると、 「僕は今、新たなポリス(合衆国にどんだけいるのか、新たなポリス)に身柄を拘束されている…」 そんな店長の一報を受けて。 アヒル「新たなポリスって、捜査2課から捜査1課、みたいなもんか? もしくは所轄から県警、みたいな?」 チュンチュン「たぶん店長、モネットからセントルイスに移ったから所轄が変わったんやろ。静岡県警から群馬県警、みたいな」 アヒル「なるほど」 しかし、このまま店長が無罪の誘拐容疑でアメリカの拘置所に入れられてしまったら、自宅のアパルトマンからギャラクシー、いったいどうしたらええねん! そんな、如何ともしがたいことしか待っていないパリに戻ることを、正直、悪いけど、「やめさせてもらおう」と思うしかない東京滞在中のチュンチュンであった。 セントルイス市警の取り調べは、同じくモネット誘拐未遂事件の容疑者にされてしまった店長の姪っ子・レベッカさん(モネット在住)の懸命な供述と証言によって訴追はまぬがれ、ポリスからも「疑ってゴメン」みたいな軽い謝罪もあり、無事放免。「今から空港へ向かう」という店長のメッセージに、ようやく一件落着と思いきや、その後、シカゴの空港のアラームが鳴り、空港警察に取り押さえられた店長から、「ハニー、僕はパリに戻れないかも知れない」というメール。もはや、そんなおまえにかける言葉があるとしたこれだけだ。 「もう、ええわっ!」 刻一刻、大丈夫じゃない方へ、なんでそーなるかの鐘が鳴り響く方へと進んでいく店長ドラマの展開を追いながら、ああ、これは明日、羽田からアメリカに飛び、モネットかセントルイスの警察で、金網越しに店長と面談しなければならない自分の今これからを想像し、五臓六腑総動員の深いため息にうっかり魂まで吐きそうになったわたしである。 このまま店長がセントルイス警察に拘留されてしまったら、それこそ、アヒルよ。わたしら、ケントじいちゃんを車イスに乗せ、「Not guilty!Tencho」のビラをどこかわからん駅前で撒きながら片言の英語で店長の無罪を訴える日本人になるしかないことになるがな。 チュンチュン「まあ、行くしかないゆうても、モネットって、セントルイスって、どこや? みたいな話やけどな」 アヒル「たぶん、アメリカの南の方の真ん中あたりやろ、ゆうてな」と、そうなったらそうなったで、じいちゃんには、「無罪」の二文字を胸に刻んだTシャツを着てもらい、店長のえん罪を訴えんがためモネットの駅前で辻立ちすることになるのはやむを得まい。そんな、なんの縁もゆかりもない3人が遥かアメリカの地で共に闘う姿を想像しながら、どこまでもわけのわからん人生の何たるかに瞼を閉じ、観念するわたしであった。 とはいえ、次から次へと最悪しか呼び寄せない疫病神のくせに、最後の最後は結局助かる九死に一生運だけはものすごいやつだけに、シカゴ空港警察の取り調べをどうにか交わし、無事出国ゲートにたどり着いた店長。もうええ加減、終わりにしろと念押しに問いかけた返事はこれ。 「ハニー、アモール(もうええっ!ちゅうねん)、アメリカの警察はどこまでも追ってくる。フランスの空港に、インターポール(国際刑事警察、“ルパン三世” 銭形警部)が待ち構えているかもしれない」 どこまでもひとを安心することを許さない店長に贈る言葉。 「ほな、もう捕まれや!」 なにがなんだか、ありえない誘拐容疑の汚名をかぶり、シャルル・ド・ゴール空港に落ち延びるように降り立った店長のうめきにも似たメッセージ。 「ハニー、アモール、僕の人生は、なぜ、こんなスペシャルなことばかり起こるんだ」 嘆いてるのか誇ってるのか、訳すに困る英語で心中を投げかけてくる店長に言える言葉もまた、これしかない。 それもこれも、全部、「おまえやねん!」 と、これが、昨年の9月に巻き起こった店長のアメリカ物語の一部始終である。 おまえが動くと、何かが起こる。 そんなおのれの何たるかを知ることなく、今日はイラン、明日はアメリカ、明後日はオマーンへ、動き回る店長がいる限り、この地球の片隅にいるチュンチュンに、平穏の二文字はない。

07 Feb 2017

店長がゆく!アメリカ物語 ー 予兆 ノ巻

マレ地区にある店長ギャラクシー界隈には、アート系のギャラリーが軒を連ねている。その多くは、どちらかというと奇抜で前衛的な現代美術を扱うギャラリーが多く、雰囲気も空気も気取りなく若々しい。 そんな中、ギャラクシーの前にある老舗ギャラリーだけは、その他のギャラリーとは趣の異なる重厚な風格を漂わせている。さもパリらしい風情をかもす中庭と小径(パサージュ)を持つ大御所ギャラリー、その名も「Z」。この界隈に今ほど多くのギャラリーができるずっと前、何もない殺風景な通りにアジア人の飲食店や食料品店がまばらにあるだけだった25年前、この通りに初めてギャラリーを作った草分け的存在がこの「Z」である。 6月のある日のこと。その「Z」のマダム、通称マダムZが、ひょっこり向かいの扉から現れ、「ボンジュール」とギャラクシーにやってきた。 展示中の写真作品を見渡したマダムZ。 「すてきだわ」「すばらしいわ」と大層興奮気味に嬉しそうに切り出してきた、いい話。 それは、マダムZが主催する「秋のフォトアート祭り in NY」への出展参加の誘いであった。 マダムZと店長の会話を小耳に挟みながら、次第に店長のその気、やる気、行く気がムクムクと高まっていく様子をつぶさに伝えてくるアヒル。 「帰ってきたら話すと思うけど、店長、NY、行く気やで。これはもう何かが起こる予感しかないわ」 その「マダムZ」が持ちかけてきたNY出展話というのは、こうである。 そもそも「Z」は、パリのみならずニューヨークにもギャラリーがあり、毎年、コレクター達を招いた秋のアートフェアなるものを過去10回以上主催している。そこで今年は、ロンドン、パリ、NYの個性的な写真作品を扱うギャラリーが参加しての「フォトアート・フェア」を大々的に行う予定であると。 ついては、NYでも注目度の高い日本の写真を扱うギャラリーとして、店長ギャラクシーにぜひとも出展いただき成功をおさめていただきたいと、なるほど、いい話である。 「どうするの? 行くの?」と問うチュンチュンに、何やら思い渋った様子で「maybe… but I don’t know」と、煮え切らぬ返事の店長。 思いあぐねる理由。それはもちろん、かなりの出費となるであろう参加費、渡航費、滞在費をどうするか。 なぜなら、たとえチャンスはチャンスでも、それならばと早々やすやす即決できるような金額ではない。 さらに、アートフェアの展示準備スタッフの確保という問題もある。 NYには、店長の姪っ子がいるとのことで、事前の準備は彼女に頼むとしても、右腕となって動いてくれるスタッフが必要だ。 通常なら、あんたの仕事はあんたのことと、凛と冷たく聞き流すわたしだが、さすがに、ニューヨークとなれば、話は別。 NYかぁ。NYといえば、一世を風靡したアメリカのドラマシリーズ「Sex and The City」に一時期ハマりまくっていたこのわたし。 キャリーが住んでいたアッパーイーストのアパルトマン、キャリー達の行きつけのカフェやショップがひしめくドラマの舞台マンハッタン、ウエストビレッジ、ブルックリンを歩いてみたい。行けるものなら行ってみたい。 わかった、わたしが、このチュンチュンが「行ったるわ!」と名乗りを上げるも、そんな遊び心いっぱいのミーハーな決意を即座にへし折る四角四面の店長。 「ハニー、アモーレ、プリンセス(誰がやねん…) これはビジネスなんだ。自由時間などどこにもない。額の買い出しや展示の額装、壁掛け、1日、1時間、1分たりとも、遊んでいるヒマなどないんだよ」 これ以上、面白みのない返答に一気に興ざめ、怒りも露わに吐き捨てるチュンチュン。 「ふん、誰が行くか。気分悪いわ!」 その翌日。知らぬまに店長のNY行きはすでに決心済みであることをアヒルから知らされる。しかも、NY出展アシスタントとして店長に同行するのは誰かといえば、ほかに誰がいるであろう。店長銀河で一等輝くバイトの星・アヒルが、店長と共にNYへ旅立つこととなったわけである。 アヒルにしても、いつか機会があればと憧れていたNY。何しろそこは、アヒルの大好きなエンターテイメントの聖地。店長がいるNYに待ち受ける困難、わざわい、面倒、ストレスがどんなものかは勝手知ったるアヒルでも、NYのブロードウェイで、あの不朽の名作ミュージカル“CHICAGO”が見られるドリームに誘われ、店長と暮らす2週間のニューヨーク・ライフへ突撃する覚悟を決めたようである。 が、NY出陣を待たずして、出た、来た、マジか!? の「まさか」が踊る店長商店。NY出発前3週間という際になって、飛び込んできた衝撃の事実。 「店長、アメリカ入国不可!?」 そのタレコミ速報を送ってきたのも、これまたアヒル。 が、なぜかその日のアヒルの文面には、さあこれからどうなるか、そこからの展開を面白がるいつものふざけた覇気がなく、代わりに、万に一つのハズレを引いてしまったような、ヘナヘナと膝を折ってその場に倒れ込む当事者の悲愴とやりきれなさが滲んでいた。 どうしたアヒル!?  なにごとか?と訊ねても、「店長から聞いて…」と、それ以上語る気力すら失われたアヒル。 「ありえないことしかありえないギャラクシー展開には慣れたと、ああ、慣れたさ、と思ってきたわたしやけど、今回のこれは、こんなことありか? というレベルや…」 店長に、そしてアヒルに、何が起きたのかー じつは、2016年に起きたパリの同時多発テロ襲撃事件をうけ、アメリカではテロリストの渡航入国を防止する新法が施行されたていた。その新法によると、日本やフランスなどこれまでビザ取得が免除されている国籍の渡航者であっても、2011年3月1日以降にイラン、イラク、スーダン、シリア、リビア、ソマリア、イエメンに渡航または滞在したことがある者はビザ申請が必要というものである。(公務、人道支援、報道等の目的による渡航に対しては個別に審査された後に免除される可能性あり) つまり、イラン、イラク、スーダン、シリアなどへ入国履歴がある者は、その理由や目的が「テロリストとは無関係」であることを証明した上で、特別措置の入国許可のビザ証を受け取り、初めてアメリカに入国できるというわけだ。 2011年以降と区切られるまでもなく、それ以前からも毎年のように、それこそ先月もイランへ、去年はイラクへ、むしろ、そんなヘビーな国にしか行っていない店長のパスポートは、危険国のスタンプラリーか、というほど、その手の国の印とビザ証に埋めつくされている。そんな者がJFケネディ空港の入国審査を通過できるか否か。どう考えても「否」である。 ならば、特別ビザを申請すればよいのだが、申請取得に必要な書類を集め、面談日を予約し、ビザの許可が下りるまでは3週間から1ヶ月、下手をすればもっとかかる。そんな新法ができている事実を知った5日後には東南アジアに飛び、そこから8月26日にパリに戻り、8月31日にアヒルとNYに向かう予定の店長に、特別措置のビザ申請を行う間はどこにもない。 というわけで、もし、というか、案の定、アメリカに入国できなかったとなると、店長ありきのNY展を一手にまかされてしまうのは、他の誰でもない。 ご存知、バイトの星・アヒルだ。 いや、これが単なる観光旅行なら、NYでもLAでもひとりで行って楽しんで帰ってくればいいだけなのだが、今回のNYは、展示プロモーションも含めたビジネスである。フランス語は話せても英語はムリ!というアヒルが単身NYに乗り込み、訪れるニューヨーカー達を相手にあの手この手のジャスチャーかパントマイムかで写真作家の魅力と価値を伝え、売り込み、アートフェアを成功させる。 誰がどう考えても「それはない」。 どんなに大丈夫じゃないことでも、どれほどありえないことでも大概のことはすべて他人事と適当に 「ca va 大丈夫よ」「c’est normal よくあることよ」「c’est la vie 人生そんなもんよ」と聞き流すフランス人ですら、 「もしかしたら入国できないかもしれないんだ」 「え、そうなったら誰が?」 「アヒルだよ」という店長の言葉に深い憐憫と苦笑をもらすほど、ムチャな話であることはいうまでもない。 僕が漕ぐから大丈夫と、威勢良く、サクセスの大海原を渡るはずの店長号。それが出航するやいなや、「さあ、ここからはひとり、見事泳いで帰ってこい!」と、いきなり轟爆のうずしお海峡に突き落とされるアヒルの受難。それもこれも、方法とルートさえ伝えれば、ひとは何でもできるという自分勝手な思い込みだけで生きている店長のせい、としかいいようがない。 万一、自分が入国できない場合にそなえ、NYのギャラリーの住所、アパートの住所、姪っ子の連絡先、額はこの店に注文しているから何日に額を受け取り、何日に搬入して… と膨大な説明を矢継ぎ早に一気にドッサリ伝えること。それが店長のベスト・ソリューション。 「さあ、これで何がどうなっても、何の心配もないよ、アヒル」と、ひとり力強くうなづく店長から渡された1トン級の鉄アレーを半分白目で受け取り、白目のまま走るしかないアヒルであった。 なんというか、こういう事態に陥ったとき、わたしが何より釈然としないのは、この窮地が、まるで誰にでも起こりうる致し方なき世の定めのような口ぶりで、「さあ、共に乗り越えよう」と旗を振り鼓舞してくるおまえ、あんた、貴様こそが、そもそもの発端であることを当の本人がまったく自覚していないことである。 たとえ、アメリカの法律がそうであるにせよ、毎度毎度、なぜ、そういう不穏な世界の網の目にまんまとピンポイントで引っかかるのか。 引っかからずに済む者も、この世には五万といる事実を眺め見よと。 まずは自らを自ら見つめ、かんがみ、ひれ伏す視点に立ってみれば、ペラペラと出てくる嫌味な英語のフレーズも違ってくると、わたしは思う。 「わがが、わががの“我”を捨てて、おかげおかげの“下(ゲ)”で暮らせ」そんな大和ごころを異なる星の異なものに唱え続けてはや4年。 「ワレ思うゆえにワレあり」のアイデンティティが掘を固める店長の牙城はいまだ腰を折ることなく、我こそはとそびえ立っている。 そんなわたしのスピリッツを英語でいえば、 「アイ、アイ、アイ、アイ、アイデンティティの“ティ”を捨てて、ユー、ユー、ユー、ユー、サンキュ、サンキュの“キュ”で暮らせ」 と言っているようなもので、それはもう、イングリッシュな店長には、何を言っているのか、何が言いたいのか、なんぼ言うてもわかるはずなどないのだが。 そうして、店長が入国できるか否かはJFケネディ空港に着いてからのお楽しみのまま時は過ぎ、その間、店長はオイル仕事で東南アジア各地へ。 かたやチュンチュンとアヒルは、万が一、いやもう十中八九、百発百中、空港のイミグレーション審査で、店長とバイトが生き別れになったときのシュミレーションをあれやこれやと思い浮かべ、その瞬間を想像すればするほどハラの底から込み上げてくる不条理な笑い。 JFケネディ空港の入国審査ゲート。いかにも強面なブラックアメリカンの審査官が怪訝な顔でパスポートとパソコンデータを交互に睨み照合するその緊迫とスリル。そして、何やらよくわからない英語で押し問答したあげく、激しく鳴るアラーム音。駆け付けた空港ポリスに取り押さえられ、脇をつかまれ引きずられるように、パリへと強制送還される店長ー。 ああ、誰かと声の限りに叫ぶ願いは、「誰か、カメラ、回して〜!」 「いやでも、もし、ひとりNYの展示場に捨て置かれることになったらもう、店長にはスカイプに張り付いてもらうしかないわ」 「アヒル、それや!展示ブースの真ん中のパソコン画面には常に店長が映し出され、写真にまつわる熱いスピーチを語り続ける。そして質問や興味のあるひとは、パソコンに向かって店長と対話することができる。アヒルはただそこに漫然と腰掛け、誰かが何やら英語で話しかけてきたら、「Yes, so… follow me Plese(ええ、でしたら、どうぞこちらへ」と、パソコンの中の店長に向かわせたらいいだけや。なんかこう水槽の中の脳ミソが指令を出すみたいなカルトファンタジーなギャラクシー展開をNYの皆さんにお届けしよう!」 「つまり、わたしはその「Follow me Plese」だけ覚えといたらいいわけやな」 「そういうこっちゃ」 と、店長不在のNYを切り抜ける秘策を見出したからには、店長とアヒルには悪いがここはひとつ「生き別れ」ていただくしかない。 「ソフィーの選択」か「大地の子」か、数々の名画ドラマの生き別れのシーンを思い巡らせ、それこそ銀河鉄道999のメーテルと鉄郎の別れのシーンさながらに、まさに因果鉄道ギャラクシー史上に残る爆笑名場面が生まれるであろう「そのとき」を求めてやまないわたしであった。 そして、当のアヒルとて、NHK『そのとき歴史が』松平定治アナの「今日の、そのときです」の名調子とともに、JFケネディ空港の入国審査窓口のあちらとこちらで、店長とバイトが生き別れる「そのとき」を、みずからもぎとる千載一遇のチャンスを、身を捨ててでもつかむ覚悟を決めていたことは確かである。 だが、しかし、望んだことは決して起こらぬギャラクシー。 なぜ!? ここで、そう来るか…。 8月31日 「そのとき、店長が帰らされる」今日のそのときへ向け、シャルル・ド・ゴール空港からNYへ旅立った店長とバイト。 今か今かと、腹をさすって笑いよじれる準備万端、ひとりニヤニヤほほ緩ませて寝ずに待っていたわたしのもとに、深夜3時をまわる頃、携帯を揺らすアヒルからの悲報。 「店長、入国」   なんだろう、この失望感。なんだろう、このさんざんジラして期待させて、これか? という欲求不満。 いや、入国できたら入国できるに越したことはない。が、ここで一発、わたしたちが欲っしていたもの、求めていたものは、断じてこのような無事、安堵などではない。 こちらの思惑通りには、決して、しない・させない・いかせない。ひとが思いもよらないことしか与えない。店長サプライズの厳しさ、忌ま忌ましさ、うっとうしさを目の当たりにしたかに思えたNY無事入国。けれど、そんな店長サプライズの恐ろしさをわれわれが思い知るのは、このNYの後、もうすこし先の話である。 とにもかくにも、目立った難なくNYのアパルトマンにたどりついた店長とアヒル。そんな2人を待ち受けていたのは、聞いていたマダムZのふれ込みとはどうも違う「アートフェア」であった。 というのは、NYの一等地のギャラリーで開催されるフェアにしたら、あまりにも訪れる来客数が少ない。パリ・ニューヨークを股に掛ける老舗ギャラリーのマダムZ、おそらくこれまでの絵画アートのフェアでは、何の宣伝努力をせずとも、すでに顧客に名を連ねるコレクターたちがこぞってやって来たのだろう。だが、今回は、マダムZ初めてのフォト・アート・フェア。既存の絵画アートを求めるコレクター層とは違う「写真」を求めるターゲット層を呼びこむためのプロモーションや宣伝を一切せず、誰がそれを知るというのか。 パリ・ニューヨーク・ロンドンからマダムズ・フェアに参加していたギャラリーの人々から噴出する割に合わない不満と文句。そんな人々の思いを一手に引き受け、ここぞとリーダーシップを発揮する者がそこにひとり。そう、店長だ。   […]