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「さそり座の店長」本編ストーリー

世界で一番「そうじゃない!」店長の段取りプラン。ノ巻

どんな業界、どんな仕事であれ、社会に出て働く上で、親より何より大事と徹底して叩き込まれるヒューマンパワー。それは、段取りと根回し。 何をどうすれば一番無駄なく滞りなく事が運べるかという物事の順序を見極め、そこに関わる人たちの事情や心情を問わずとも察し、汲み取り、みんなの負担ができるだけ少なく済む方法で事なきを得んとする。それが「和をもって、やったるで!」を可能にする大和浪花の段取りと根回しの奥義である。 そして、常に先方周囲の思いを忖度し、社内外のしがらみ情勢に神経を磨り減らし、念には念の段取りで、抜かりなく事が運ぶと思いきや、そこはすんなり一筋縄ではいかぬ人の世のややこしさがあることをことあるごとに学んできた日本人にとって何が一番考えられないか、といえば、この者、店長である。 そういう気働きの大切さを教わったこともなければ、目配り、気配り、心配りというものが一滴も1mmも備わっていない店長の考え、行動のおよそ90%は、わたしから見れば、無駄、無理、無茶のひとことに尽きるといっていい。 「いや、それをするなら、まずこれを」というひとの進言、助言は一切無視して、今、自分がやりたいこと、今、自分に必要なもの、今、自分がいいと思った衝動だけで動く。つまり、発注する。結果、費用だけがかさみ、在庫だけが残され、「なぜだ!なぜこうなるんだ!」と絶叫する店長の激昂パターンを、わたしとアヒルはもう何百回、「だから、言うたやん…」と見つめ続けてきたことだろう。 漠然としていてわかりにくいかもしれないが、この者のおかしな特性は、ざっとこのような店長の日常にアリアリと見て取れる。 ・今しなくてもいいことを長々根詰めて集中してやる。 ・今しなければならない、と思った瞬間、パニックに陥る。 ・今しなければ間に合わないから各々が各々の仕事に勤しむそばからいちいち「ああしろ、こうしろ」イチャモン付けにしゃしゃり出てきて、人の神経を逆なで、まわりの志気を下げ、百歩譲って手伝っているチュンチュンの虎の尾を踏みしだき、「ほな、おまえがやれよ!」と皆が去ったギャラクシーで、肝心の自分の仕事も手つかずに、孤独ケ淵でボートを漕ぐハメになる。 ・石油仕事がパツパツの状況で、1週間後にはイラクへ、アフリカへ、という一分一秒でも惜しまれるときに、わざわざイベントを立ち上げ、「僕には時間がないんだ!」とまるでわたしたちがおまえをそんな窮地に追いやったかのような口ぶりで当たり散らす。自ら自らの首を絞めながら「僕は苦しいんだ!」と泣き叫ばれても「知らんがな」としかいいようのない自滅プランを「イベント名」を変えて、何度も立ち上げる。 ・相手に確認しないといけないことを確認せず、確認する必要もないわかりきったことを「何回同じ事訊くねん!」と怒鳴られるまで、しつこく確認する。 ・先方のOKを待ってから初めてGO! となるような「どうなるか、まだわからない」保留状態、Yes と...
28th Nov 18

最強と最悪、どっちかしかない人生ってナニ!? ノ巻

運がいいとか悪いとか、人が時々くちにする人生イロイロだけでは共感しきれぬ奇怪な運勢を持つ地球上生物、店長。 なぜなら、「さそ店」読者のあなたはとっくにご存知、コロンビアの奥地で石油探索中にテロに拉致され、今日殺されるか明日死ぬかという極限苛酷な捕虜生活2年の末、生還。さらに、アフリカのコンゴでは、現地のギャングに銃とナタを突きつけられ監禁されるも、見張りの隙を狙って命からがら脱出したような経験も、約3回。また、過去の本編にもあるように、NYでは誘拐犯に間違えられ逮捕寸前に追い込まれ、マレーシアでは、宿泊ホテルに戻れば、ホテルがこっぱ微塵にテロ爆破されていたという、人の一生に1度あるかないかの未曾有の惨事も、車の当てこすり事故くらいよくあることととらえて離さぬ店長の人生。 その日常、よくぞそこまでと呆気にとられるほど、あたりまえに、完璧なまでに、見事に異常な店長パターンを見るたび、これはもう運というよりおまえ自身がそういう星なのだと、冷静に忌憚なく、そうとしか思いようがない。 そして、この者。そうした数々のありえない窮地からは絶対にカムバックする空前絶後の強運(ギャラクシーではそれを、店長の “九死に一生カード” と呼ぶ)を持っているかわりに、普通にありえるささやかな「ラッキー!」は驚くほど、哀れなほど、持ち合わせていない。 まず、小さな暮らしの場面からあげつらえば、店長がお気に入りのレストラン、ショップ、商品はことごとくクローズまたは廃番となる。 店長愛用のシャンプー、ボディクリーム、デオドラント等々、「これ買ってきて」と頼まれ買いに行って、それがあった試しは一度もない。 無論、そんなヤツだけに、駐車場探しに1時間はあたりまえ、どこか郊外へとドライブにでかければ、ストライキやパリマラソンなどよりによった間の悪さで通行止め、記憶に新しいところで言えば、ホームセンターの駐車場に入ろうとするなり、クレーン車と警備の者が笛を吹いてやって来て「今から工事なので、この道は通行止め。入れないよ」と、ウソみたいな猛バックを強いられる店長だ。 先日も、ちょっと一杯ビールでもと、店長が以前見かけたというメキシカン・カフェに行こうという誘いにうっかり乗って向かったが、延々、探し回ること30分。 このノドがビールを欲してから30分も歩かされるありえなさに、辛抱たまらんチュンチュンの苛立ちは頂点に。 「あんた、いったい、どこで見たんよ!!」 「ああ、ここ、ここだよ!」と、店長が毅然と指差すその先にあるはずのメキシカン・カフェは、「賃貸」と書かれた空きテナントと化していた。 さらに、わたしは今まで、店長と共に、シンガポール、マレーシア、タイなど様々な国を旅してきたが、店長がブッキングした部屋、設備、内容がそのままその通り受付けられていたことも一度もない。通常ならありえないような手違いが必ず起こる。間違いなく、起きる。いや、起こす。...
26th Apr 18

“存在” がありあまるプレゼント ノ巻

贈るよろこび、もらう幸せ、プレゼント。 けれど、実際問題、どうだろう。贈る人によっては、何が好きかどんな趣味かも見当及ばず何がいいのか途方に暮れる人もいて、贈られたモノによっては、ありがとうの向こう側に、なんとも言えない忸怩たる思いを噛みしめるようなプレゼントもある。 なぜなら、プレゼントというものは、言わば一瞬にしてまざまざと、贈るひとの配慮、センスの有り無しをどうぞとお目にかける代物であり、ゆえに、日本ではひとにモノを贈るときは、「つまらないものですが」とおそれながら照れながら、「ほんの気持ちです」「心ばかりのお礼に」「お口汚しに」と徹底してへりくだる逃げ口上が、贈り手の気恥ずかしさをやわらげ、もらい手の気遣いを軽くする。 しかしながら、今やわたしも普通にクチにしているプレゼント。カタカナ外来語だけに、そもそもは外国からきた風習。ということは、我思うゆえに我ありという「主体」に満ち溢れた西洋の精神文化では、相手が気に入るかどうかよりも、わたしがこれをあなたにあげたい、贈りたい、ギブしたい!と、いま、この胸にあふれる思いがまず大切。贈ったひとが気に入るかどうか、気に入ってもらえなかったらどうしようと思い煩う逡巡などは、気にしすぎ。そのひとことで済む話といってしまっていいだろう。 贈られた人の気持ちを忖度するより、自分がいいと思ったものを自分の好きに贈る。 とにかく、まずは自分あってのアナタ。 ワタシ贈るアナタ。アナタもらうワタシ。 何に付けてもワタシとアナタなしでは語れない。それが、西洋のプレゼントなのだ。 そして、そんな強靭なワタシ=アイデンティティみなぎる店長の贈り物の数々をまずは、ご覧いただきたい。         アラブ、アジア、アフリカ、遠い外国から帰ってくるたび、スーツケースから次々取り出される土産の品々。それって、いったい、何?...
10th Apr 18

店長がゆく!アメリカ物語 ー 逮捕 ノ巻

ハートブレイクもサクセスも色とりどりに味わったニューヨークを後に、大好きなグランパが暮らすミズーリ州モネットへ向かう店長。 思えば、わたしがパリに来て3年あまり、オイルビジネスとギャラクシーライフの間を見ては、じいちゃんに会うためのアメリカ行きを画策、計画し、航空券を予約する寸出のところで腎臓結石やら盲腸やらの足止めをくらってきた店長だ。おそらく今回、店長が、多少の無理はしてでもNY展参加を決めた心情には、ミズーリのじいちゃんとの再会含め、思春期から青春期を過ごしたシカゴなど、懐かしきアメリカへの里心も幾分あったはずである。 いよいよこの巻では、店長アメリカ物語の大トロ部分にあたる衝撃の事件があきらかになるのだが、その前に、愛してやまないケントじいちゃんと店長のつながり、その背景にある店長の家庭事情についてもう少し語っておきたい。というのも、じいちゃんに会うためだけに米国の南西部ミズーリまで行きながら、自分の家族が住むコロンビアにまでは足を延ばそうとはしない、家族が暮らすコロンビア・ボゴタに帰りたい、両親や姉に会いたいなどという言葉を今まで一度も発したこともなければ思ったこともない店長だ。店長が「スペシャル」と表現する生い立ちを知ることで、この者が持つ特異な運命と特殊な性格の所以がある意味妥当と納得できたりするからである。 まずは、本サイトにある「さそり座の店長とは」に示した店長家系図をざっと一瞥していただきたい。 店長が生まれ落ちた家庭環境は、一般的な家族のカタチに照らし合わせば、かなり多彩に多妻に込み入っている。 父親のアルフレッドは、店長の育ての母親である本妻のほか5人の女性ともそれぞれに愛情関係を持ち、それぞれに2人ずつの子宝に恵まれている。 そして、認知と養育費という男としての責任、本家の父としての威厳を両肩にドンと背負う度量と甲斐性だけはあったというべきか、店長の父、アルフレッドの女性たちはみな、生まれた子を自分の元で育てるに至っているが、店長の産みの母は店長を産み落とすとすぐ亡くなったため、店長だけが本家・アルフレッドの元に引き取られたというわけである。ちなみに店長の母はシカゴ在住で、店長の本当の出生地はシカゴ。けれど、彼の戸籍謄本、ID、パスポートの出生地は、コロンビアの首都ボゴタ。何かにつけて、「なんやねん!」「どないやねん!」「どっちやねん!」の混沌にまみれた店長のめんどくささは、彼が誕生した初っぱなから決定づけられていたのかもしれない。 そして、この父・アルフレッド。店長がそんな父に抱く感情とは別に、あかの他人のわたしから見れば、ともすれば誠意ひとつの話し合いでは折り合えないこじれたひとの感情にひと区切りのケジメをつけるに必要な経済力、なるほど女性陣たちを魅了してやまないのもうなづける往年の二枚目俳優のような秀眉な顔立ちを持ち合わせたやつであったことは、間違いない。なぜなら、よそに愛人や腹違いの子が大勢いても、「それが何?」と我関せずの心持ちで何不自由なく育つことができたのは、これをいうと真っ向から「I don’t think so」と完全否定してくる店長だが、そんな南米サクセス移民ファミリーのドン、アルフレッドのおかげといえるところはあるだろう。 なにしろ、たとえ父の浮気、愛人、隠し子という複雑な家庭環境ではあったにせよ、夜中にいきなり愛人が押しかけてきた、あるいは母親に手を引かれ連れて行かれたスナックでお母ちゃんと知らない女の人が髪の毛つかみ合ってもみくちゃに怒鳴り合うのを泣きながら見ていた… というような母親と愛人の修羅場やドロ沼の痴情のもつれに幼い心をいためた記憶は一度もないことは店長の数少ない幸運の最たるものだと、わたしは思う。 そしてまた、こう言っては何だが、ともすれば「子どもがかわいそう」といわれてしまうような愛人と腹違いの乳兄弟が数え切れないほどいる生い立ち環境ではあっても、そんな世の常識や予想に反して、すくすくと、今現在もぷくぷく成長し続ける店長。...
11th Feb 17

店長がゆく!アメリカ物語 ー 予兆 ノ巻

マレ地区にある店長ギャラクシー界隈には、アート系のギャラリーが軒を連ねている。その多くは、どちらかというと奇抜で前衛的な現代美術を扱うギャラリーが多く、雰囲気も空気も気取りなく若々しい。 そんな中、ギャラクシーの前にある老舗ギャラリーだけは、その他のギャラリーとは趣の異なる重厚な風格を漂わせている。さもパリらしい風情をかもす中庭と小径(パサージュ)を持つ大御所ギャラリー、その名も「Z」。この界隈に今ほど多くのギャラリーができるずっと前、何もない殺風景な通りにアジア人の飲食店や食料品店がまばらにあるだけだった25年前、この通りに初めてギャラリーを作った草分け的存在がこの「Z」である。 6月のある日のこと。その「Z」のマダム、通称マダムZが、ひょっこり向かいの扉から現れ、「ボンジュール」とギャラクシーにやってきた。 展示中の写真作品を見渡したマダムZ。 「すてきだわ」「すばらしいわ」と大層興奮気味に嬉しそうに切り出してきた、いい話。 それは、マダムZが主催する「秋のフォトアート祭り in NY」への出展参加の誘いであった。 マダムZと店長の会話を小耳に挟みながら、次第に店長のその気、やる気、行く気がムクムクと高まっていく様子をつぶさに伝えてくるアヒル。 「帰ってきたら話すと思うけど、店長、NY、行く気やで。これはもう何かが起こる予感しかないわ」 その「マダムZ」が持ちかけてきたNY出展話というのは、こうである。 そもそも「Z」は、パリのみならずニューヨークにもギャラリーがあり、毎年、コレクター達を招いた秋のアートフェアなるものを過去10回以上主催している。そこで今年は、ロンドン、パリ、NYの個性的な写真作品を扱うギャラリーが参加しての「フォトアート・フェア」を大々的に行う予定であると。 ついては、NYでも注目度の高い日本の写真を扱うギャラリーとして、店長ギャラクシーにぜひとも出展いただき成功をおさめていただきたいと、なるほど、いい話である。 「どうするの?...
7th Feb 17

店長の予定、それは予想外の黙示録… ノ巻

夏も近づく6月末。梅雨などないはずのここパリが、来る日も来る日もどしゃ降りの豪雨続き。郊外では洪水被害が発生し、花の都を流れるセーヌ川も危険水位に達するほど増水し、千年に1度の水害が危ぶまれていたちょうどその頃。 店長ギャラクシーでは、ナイジェリアの来賓をもてなす食事メニューの打合せ、買い出し、仕込み準備に追いまくられるチュンチュン&アヒル。 というのも、来たる6月21日から3日間に渡り、ここギャラクシーにて、ナイジェリア石油関係者を招いての店長白熱教室、名付けて「地球エナジー最前線!店長が語る、ここ掘れ!オイルセミナー」が開催され、そのセミナー期間のケータリングサービスを、このわたしたちが請け負うことになったからである。 アフリカのナイジェリアの方々のお口に合う料理がどんなものかは見当もつかないが、それを耳にした瞬間には、もはや待ったなしの急務を迫る店長スケジュール。 例によって例のごとく、「できますか? できませんか?」の伺い、「その日、開いてる?」というような確認抜きに、知らないうちに勝っ手に「ケータリングスタッフ」としておまえのプランに組み込まれ、その話を聞いたときにはすでに「やるしかない」状況に追い込まれているギャラクシー展開。 けれどもそこは、常にギャラクシーのパーティ・イベント事となれば、なんやかんやの段取り・下働きをなんなとちゃっちゃとやり切ってきたわたしたち。 「ま、なんとかなるやろ」と引き受けたのだが、フタを開ければ、これがまた何と言おうか、 「おまえ発、おまえ絡みの催事行事が予定通り滞りなく済むことは絶対にない!」 。 そんな嫌と言うほど知ってるはずの店長銀河の法則を、またしても思い知らしめされる3日間であった。 当初の予定では、セミナー参加者はざっと17名。何でもナイジェリアの代理店(何の代理店か分からないが、店長いわく、その名も「エージェンシー」)による仕込み接待イベントらしく、接待される方々はナイジェリアの石油関係者、クライアントだという。そして参加者それぞれが奥方を伴ってやって来るので、到着日の夕方のカクテルパーティ、そして3日間にわたるトークレクチャーの最終日には30人規模のケータリングサービスをキミ達にお願いすると。 そして、そのセミナーのスケジュールは、普通ならざっと以下のように進むはずであった。 6月21日...
14th Nov 16

そこに店長が居なくとも… ノ巻

前回の巻では、そこに店長が居るだけで何ひとつ大変ではないことがものすごい大変になる店長因果のしくみについて、くどくどと解説させていただいた。 では、ヤツがそこに居さえしなければ、物事はスムーズに流れるのか。普通に考えればそういうことになる。 が、そうは店長が卸さないのが、予測不能の因果渦巻くギャラクシー。 ということで、今回は、居なきゃ居ないで七面倒、店長のいないときに起こりうるあんなこと、こんなこと、腐るほどあったわい! の巻である。 何しろオイル発掘ビジネスという職業柄、年に2~4回は世界各地の油田を堀りに、アフリカ、中東、アジア、南米など、紛争テロと過激派ゲリラ、さらには感染病という危機と危険が叫ばれる国や地域にピンポイントで出張する。去年は、マレーシア・ボルネオ島、一昨年は、ISの脅威が叫ばれるイラクかエボラ出血熱の感染エリア・リベリアかどちらに行くか死ぬほど悩んだあげく、イラクへ。そしてその前はアフリカのコンゴへ、オイル採掘チームのメンバー(登場人物参照)と共に石油採掘調査に出向いていた。滞在期間は短くて3~4週間、長ければ3ヶ月に及ぶ。 そしてその間、チュンチュンは、行ってる場所が場所だけにもはや心配したところでどうしようもなく、 「まあ、知らずに行ってるわけではないのだから大丈夫だろう」と、 ワイン片手にしばし戦士の休息を過ごす….. はずなのだが、これまでそんな安らぎのときがあった例しは一度たりとも記憶にない。 あれは3年前のコンゴ出張。 それはまだわたしがパリに来て3ヶ月という、右も左も緊張と不安しかなかった時期。 3年経った現在でもフランス語は笑けるほど粗末なものだが、その当時はフランス人が何を言ってるのか、看板や張り紙に何が書かれているのか、何もかもがサッパリわからず、生まれたばかりの赤子のように目に映るすべてが未知のフランスに怯えるばかりであった。そんな、いたいけなチュンチュンに、こともあろうに出張中のギャラクシーの店番を振ってくる「殺したろか」のありえなさ。 もちろん、そのときも土手の河原でタイマン張る中学生のようにとっくみあいの喧嘩を繰り返したが、結局、この「ボンジュール」と「メルシー」しか言えぬわたしが、破れかぶれの店番長をやるハメになったのである。それはもう、地球の平和を守るため、「キャシャーンがやらねば誰がやる!」と立ち上がる昭和生まれのテレビッ子の正義感と責任感から、としかいいようがない。...
18th Jun 16

そこに店長が居る限り…. ノ巻

日本を中心にアジア、ヨーロッパのフォトアーティストの作品展を行うギャラクシーこと店長ギャラリー。 メインの展示スペースとパーテーションで仕切られたオフィススペースは店長が「バックルーム」と呼ぶ、プライベート空間である。 もちろん、そこにも有り余る情熱と鬼気迫る執念によって選び抜かれた店長の激愛フォトコレクションが息をもつかせぬ勢いでぎっしりと張り込められている。 そして、その「バックルーム」は、店長の石油開発ビジネスの総統本部「インターナショナル・オペレーション・オフィス」。そこには、故郷、コロンビアの生家の古い扉を自らリフォームして製作した重厚な木とガラスが異常に重い店長自慢のテーブルが、細長い空間をより狭苦しく見せるほど幅を利かせている。そして、その嵩高いテーブルの上には、2台も3台もひとりでそんなに要るか?と首を傾げたくなるほどのデスクトップPCがずらりと並び、アートギャラリーとは思えない珍妙なテクノロジー感、滑稽な緊迫感を醸している。   時に神妙にエクセルの表計算に打ち込み、時に電話口で、待てど暮らせど配達されないフランスの郵便物、間違った金額を引き落とす宅配業者、ありえない品質の印刷物を納品してくる印刷会社に血道上げて怒鳴りまくる。 時に、オイルカンパニーの部下である “なんちゃってCEO”のワンダラーや人の良さだけが取り柄のボブたちに思いっきり命令口調のダメ出しと激を飛ばし、月末にはネットバンキングの画面を苦々しく睨み「Fack! Fack!」と吠えながら請求の支払いに追われまくる。 そしてまたある時には、アフリカのオイルマネーを操るコンゴの黒幕・銭寅が黒々とした欲望剝きだしの形相で 「さっさと払うもん払ってもらいまひょか〜」と、支払う理由も義理もない自分への賄賂を取り立てにやって来る。 そんな店長の脂ぎった日常リアリティが、非日常を旅するような無垢なアート空間に混然とほとばしる店長銀河。 星の数ほどあるというパリのギャラリーの中でも、日本写真のリアルな現在と店長のしのぎを削るビジネスの現在が一同に公開されているギャラリーは、このギャラクシー以外、他にはないと、いい悪いは別にして、そこだけは胸を張っていいだろう。 日々、パリの片隅にあるギャラクシーのバックルームで、素人目にはなんのこっちゃかサッパリ意味不明な表、マップ、数字だらけの画面を瞬きもせず見つめながら、滑るようなブライドタッチとは程遠い1本指打法でカタカタ、カタカタ、タイピングしているその顔、姿、存在、そういう命の不思議を見つめ続けるチュンチュンとアヒル。それはどう見ても、人間のそれというより、土の中に隠した木の実を掘り返し一心不乱にほおばりむさぼる森の動物か水辺の生き物か…。わたしとアヒルの中では、「カピパラ」が一番それに近い。...
1st May 16

世にも恐ろしい「有言実行」 ノ巻

言ったことは必ずやる、有言実行マン・店長。 しかし、店長の「有言実行」は一般に立派といわれるそれとは何かが違う。 たとえば、「おれは会社をやめてラーメン屋を開く!」と、上手いと評判の店で修行を積み、遂に自分のラーメン屋開店の夢を果たすのも、ひとつの有言実行パターンだろう。 が、このパターンをもし店長が実行に移すとどうなるか。 まずもって、「ラーメン屋を開く」と言った時点で、物件契約も内装工事も開店準備すら完了している。 自分を信じる強い気持ち、ただそれだけ持って生まれてきたヤツの頭に、人に教えを乞う修行などという考えは最初からない。ゆえに、「会社を辞めた」「ラーメン屋をやる」と彼が言った時点で、もうハコはできている。そしてそれを初めて聞く家族は、寝耳に水。それも洪水レベルの濁流が一気に耳から流れ込むような最大級の初耳にもかかわらず、すでにラーメン屋は「いつかの目標」という先の話ではなく、それを彼がクチにした瞬間、「今すぐ何とかしなければ間に合わない非常事態」になっている。1日も早く、明日にでもオープンしなければ家賃や経費が発生するという、のっけから尻に火が付いてる状態だ。なぜ、そんなことになるのか。なぜなら、それが店長、だからだ。 そう、店長の有言プランは、店舗空間設備、機器道具類の調達、契約書類の準備などハード面は万端なのだが、「厨房は誰がやるの?」「スタッフは?」「仕入れ先は?」「店の宣伝は?」というより、いきなり明日オープンしていったい「誰が来るの?」というソフト面に関しては、驚愕のノープランで挑むのが通常である。 しかも、そんなプロジェクトを店長が語り出したときすでに主語は「We」、そしてひとことも参加するとも協力するとも言っていないにもかかわらず気づいたときには「Our Project 僕たちの目標」になっている意味不明…. 夢に向かって突き進む本人はそれでいいのかもしれないが、迷惑なのは、そんな夢のブルドーザーに突然ぶつかられ巻き込まれるハメになった身近なチュンチュンとアヒル。とりわけ「何をすべきか、どうするべきか」を瞬時に悟ってしまう理解力、空気を読む感性に優れ、その場の状況にやむにやまれず対応してしまう日本人ほど、店長ドリームという名の「やるしかない窮地」、「選択の余地のない崖っぷち」に立たされ、できる限りのことをやってしまうことになるからだ。 それこそ、「女房とは別れる」という言葉通り、きっちり離婚して妻や子どもの養育費云々という責任を背負いケジメをつける。それもやはり、クチでは言えてもなかなかどうして実際にはできることではない、有言実行戦士なればこそ。 だが、これもまた店長がそれをするとどうなるか。 こっちはそこまで深入りするつもりはなくそうなっただけだとしても、奥さんと別れて欲しいなどひとことも言ったことも思ったこともないにもかかわらず、驚くべきスピードであっという間に離婚して、心ひとつ、愛ひとつで明くる日にはやって来る。「いやいや、ちょっと待って」と止める間もなく。 なぜなら、そうした方がキミにとって良い、「good...
16th Apr 16

めくるめく店長の「四期」ノ巻。

ひとは誰しも、機嫌のいいとき悪いとき、調子のいいとき悪いとき、心が開いてるとき閉じてるとき、様々なときを持っている。目に映るすべてのものが美しくかけがえのないものに思えるときもあれば、目に触れるすべてが忌々しくうっとうしいときも生きてりゃ当然あるだろう。 問題は、そういう気分の浮き沈み、心の大波小波の間に、良くもなければ悪くもない、とくにどうということもない平常な「時」と「間」を持っているかどうか。 この物語の主人公・店長とは、そういうニンゲンなら誰しもあって然りな「時」と「間」を持たないヒトの別名である。 単に情緒の乱高下が甚だしいだけであれば、極力関わり合いにならないか、適当に無視しておけばいいだけの話なのだが、やつの場合、そういう自分の感情の起伏、精神状態の乱れを「Look !」あるいは「I show you!」と、胸を張って堂々打ち出してくるだけに放っておきようがない。 たとえそれがハッピーなほとばしりであろうと、愛のエチュードだろうと、哀愁のカサブランカだろうと、野別幕なく自分の内なる喜怒哀楽のエモーションをむき出しに、すべてが唐突な変調だらけのメロディを尋常じゃないボリュームで奏でられる方は溜まったもんではない。 とにかく、この店長というニンゲンの急転直下まさかの感情気流の激変ぶりを目の当たりにすると、もはやそれはヒトの機嫌や気分の良し悪しという次元ではなく、燃え盛るマグマの火山期、恐竜も滅びる氷河期、そして幾度となく繰り返す隕石やら他の天体との衝突….という地球の周期を見るような一体何がどうなってそうなったのか誰ひとりとして理解不能なスケールの「期」としかいいようがない。いや「紀」と言ってしまってもいいかもしれない。実際、アヒルとチュンチュンの間では、「今、何時?」「今日、何日?」というのと同じ感覚で、「今日、ナニ期?」と店長のエモーショナル周期を確かめ合うのが常である。 それは、暖かな日差しが降り注ぐ春の昼下がり。朝から銀行担当者とのランデブー(予約面談)やオンラインバンクの振込振り替え作業、はたまたクライアントとの見積もり折衝など、次のオイル開発地であるマレーシアでの活動資金を調達するべくなんやかんやとシビアな「お金」の交渉事に追われていた店長。 思うまま心のままに生きられないストレスで今にもはちきれそうな「自分」をこれ見よがしに訴えるかのように、ポッチャリ豊満なボディからひとり切迫したビジネスムードをまき散らし、人が立てる物音や話し声さえ許さないピリピリと神経過敏な空気を発散。かと思えば、ポッテリ突き出た腹にイライラと溜まったガスを大音量で「oops!(ウーップス)」と放出。何のことはない、ただの「屁ぇ」なのだが、そんな「屁ぇ」ごときにも「Are you OK ?...
10th Apr 16

さそり座の店長

あなたはこの重さに耐えられますか?

普通なら知らずに済んだ遠く彼方の宇宙の果て、暗黒のブラックホールから突如として誕生したその男。

誰が呼んだか、その名も「さそり座の店長」。前人未 踏、意味不明、解釈不能、愛情過剰に異常なやつの重すぎる情熱と情念、異次元の思い違いと思い込みが日夜渦巻く店長という名のギャラクシー。 知らぬまま、関わらぬまま終われたらどんなに平穏だっただろうか… 全米、いや、全球を揺るがす、店長だらけのスペース・ヒューマン・アドベンチャーストーリーが今、ここに!

「さそり座の店長」とは?