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Monthly Archives: April 2016

16 Apr 2016

世にも恐ろしい「有言実行」 ノ巻

言ったことは必ずやる、有言実行マン・店長。 しかし、店長の「有言実行」は一般に立派といわれるそれとは何かが違う。 たとえば、「おれは会社をやめてラーメン屋を開く!」と、上手いと評判の店で修行を積み、遂に自分のラーメン屋開店の夢を果たすのも、ひとつの有言実行パターンだろう。 が、このパターンをもし店長が実行に移すとどうなるか。 まずもって、「ラーメン屋を開く」と言った時点で、物件契約も内装工事も開店準備すら完了している。 自分を信じる強い気持ち、ただそれだけ持って生まれてきたヤツの頭に、人に教えを乞う修行などという考えは最初からない。ゆえに、「会社を辞めた」「ラーメン屋をやる」と彼が言った時点で、もうハコはできている。そしてそれを初めて聞く家族は、寝耳に水。それも洪水レベルの濁流が一気に耳から流れ込むような最大級の初耳にもかかわらず、すでにラーメン屋は「いつかの目標」という先の話ではなく、それを彼がクチにした瞬間、「今すぐ何とかしなければ間に合わない非常事態」になっている。1日も早く、明日にでもオープンしなければ家賃や経費が発生するという、のっけから尻に火が付いてる状態だ。なぜ、そんなことになるのか。なぜなら、それが店長、だからだ。 そう、店長の有言プランは、店舗空間設備、機器道具類の調達、契約書類の準備などハード面は万端なのだが、「厨房は誰がやるの?」「スタッフは?」「仕入れ先は?」「店の宣伝は?」というより、いきなり明日オープンしていったい「誰が来るの?」というソフト面に関しては、驚愕のノープランで挑むのが通常である。 しかも、そんなプロジェクトを店長が語り出したときすでに主語は「We」、そしてひとことも参加するとも協力するとも言っていないにもかかわらず気づいたときには「Our Project 僕たちの目標」になっている意味不明…. 夢に向かって突き進む本人はそれでいいのかもしれないが、迷惑なのは、そんな夢のブルドーザーに突然ぶつかられ巻き込まれるハメになった身近なチュンチュンとアヒル。とりわけ「何をすべきか、どうするべきか」を瞬時に悟ってしまう理解力、空気を読む感性に優れ、その場の状況にやむにやまれず対応してしまう日本人ほど、店長ドリームという名の「やるしかない窮地」、「選択の余地のない崖っぷち」に立たされ、できる限りのことをやってしまうことになるからだ。 それこそ、「女房とは別れる」という言葉通り、きっちり離婚して妻や子どもの養育費云々という責任を背負いケジメをつける。それもやはり、クチでは言えてもなかなかどうして実際にはできることではない、有言実行戦士なればこそ。 だが、これもまた店長がそれをするとどうなるか。 こっちはそこまで深入りするつもりはなくそうなっただけだとしても、奥さんと別れて欲しいなどひとことも言ったことも思ったこともないにもかかわらず、驚くべきスピードであっという間に離婚して、心ひとつ、愛ひとつで明くる日にはやって来る。「いやいや、ちょっと待って」と止める間もなく。 なぜなら、そうした方がキミにとって良い、「good for you」と思った時点で、店長はそうする。そして、そう思われた方は、何が何だか分からないままそうする他なくなる。つまり、店長とは、そういう生き物なのである。 これまで、そんな店長の有言実行によって痛い目にあってきたチュンチュン。 その最も痛かった有言プランは、タイでの突撃インプラント手術である。 あれは2年前の夏。店長のマレーシア出張のついでに、フィリピンのセブ島でバカンスを過ごすことになったのだが、テレビと本と駄菓子と銭湯が最上の娯楽と信じて疑わない昭和の浪花っ子のわたしにすれば、青い海、トロピカルな太陽、魚たちと戯れるダイビングや南の島の楽園リゾートという健全でアクティブな楽しみというものにおよそ縁もなければ興味もなく、行ったこともなければ行きたいと思ったこともない。 さも気が進まない口ぶりで「セブ島なぁ… 海と自然しかないリゾートで何したらええねん」とつぶやくと、「やることは、インプラントだよ!」と、思いもよらない店長サプライズ。 そう、店長と行くセブ島プランには、「フィリピンの歯科医でインプラント手術」というオプション体験が付いていたのだ。 確かに、もうかれこれ8年近く、左奥歯三本を失った状態で、右でしか物が噛めない 歯抜けの苦労を噛みしめてきたこのわたし。 そのうち抜かなければならない根っこに爆弾を抱えた歯も1本2本どころではない。 日本にいたときも、歯医者に行くたびインプラントを強く勧められるも、 そんな金はどこにもないとその場しのぎの保険治療でしのいできたクチである。 いよいよとなったら、総入れ歯になることもやむなしと、あきらめるしかないとあきらめてきたけど、けどよ。いやいやいやいや、ちょっと待て。 だからといって、なぜそれを、いきなり、しかもフィリピンで、今、やらなあかんねん !!!!! 医者はみな儲かるから、さも簡単そうに言うけどよ、歯茎切ってめくりあげて歯骨にドリルで穴空けてネジ打ち込むようなそんな口腔突貫工事、どう考えても痛くないはずないではないか。 しかも、それを日本でやるとしても不安しかないような手術を、あえて言葉のままならない上に腫れや炎症に大敵の常夏の南の島でやってみたいやつが、どこの世界にいてるねん! しかし、言ったことは必ずやり遂げることしか頭にない店長は、自分にも相手にも「あきらめる」ことを許さない。 「ボクは、キミと最初に会ったときに言ったはずだよ。 キミの哀れで醜い歯を(ほっとけよ)、僕が必ず修復してみせるって」 言われてみれば、そんなような大層なことを言われた覚えはある。 何しろ一生自分の歯で噛む幸せなど自分にはないと、親を恨み、不遇な運命を恨むしかなかったわたしにしたら、たとえ歯の浮いたような英語でもそんな親切なことを言ってくれたその気持ちに感謝して「ありがとう。そうなったらいいね」くらいのことは返したかもしれん。 けれど、そんなもん「言うただけ」やん….。 そして、ここが、冒頭からしつこく何回も繰り返しお伝えしてきた店長の空恐ろしい実行力のなんたるか。わたしがその「インプラント・リゾート計画」を店長のクチから知らされたその時点で、フィリピンの歯科医予約は既に完了し、その日程で航空チケットも手配され、その予定で現地のホテルも予約済み。 キャンセルするにもキャンセル料を払わねばならない現実を前に、そこに選択の余地はない。店長の有言プランは、それを明かされた時点で既に「実行」済みなのである。 で、結局、それからどうなったか。 店長と2人、セブ島には行ったものの、そこでお約束のバトル勃発。 あまりにも険悪極まりない空気にわたしはもうここからシンガポールへ飛んで日本に帰ろうとしていたのだが、店長も店長で、このままではせっかくのバカンスが最悪な結末に終わることを何とか回避しようと、急遽タイにバカンス先を変更。 そして、必然的に、フィリピンの歯科医はキャンセル。ああこれで、恐怖のインプラント手術から逃れられると思ったわたしが甘かった。 タイ郊外の山の上にあるバンガローにやっとこさ落ち着くやいなや、 「ハニー 今から街に出てインプラントのできる医者を探しに行くよ!」….. 何があっても言ったことは必ずやる、やる気しかない店長がそこにいる限り、約束は果たされるのである。 そうして、キツネか狼かようわからん動物マークの入ったヘルメットに「Jack Daniel」のタンクトップを来たポッチャリの原付バイクの背中にまたがり、微笑みの国タイのチャレンジロードを半泣きでひた走るしかないチュンチュン。 飛び込みでインプラント手術という無謀にも程がある挑戦の結果は、散々痛みに耐えた4時間の手術のあげくネジを入れる段で失敗されるというとんでもなく「やっぱり」なオチで終わったことは予想通りである。 結局、パリで再手術を行い(ほな最初からパリでやれよ…)、不要な痛みとムダな苦労、春節の中国人形みたいにぶさいくな臼顔に腫れ上がるときを経て、ようやっと「噛める幸せ」に満ち溢れたわたしの歯をのぞき込み、「キミの歯は、僕の責任だから。ちゃんとやり遂げただろ? 」と、自らの実行プランの成功を自信満々アピールする店長。 ひとの歯のことを自分のことのように心配しケアしてくれたその気持ちはありがたいといえばありがたい。 が、そんな Thank youと同じだけ腹の底から沸き上がる心の声は、 「しばいたろか」。 店長の有言実行プラン、それは、感謝と殺意を同時にもたらす天国と地獄の黙示録なのである。

10 Apr 2016

めくるめく店長の「四期」ノ巻。

ひとは誰しも、機嫌のいいとき悪いとき、調子のいいとき悪いとき、心が開いてるとき閉じてるとき、様々なときを持っている。目に映るすべてのものが美しくかけがえのないものに思えるときもあれば、目に触れるすべてが忌々しくうっとうしいときも生きてりゃ当然あるだろう。 問題は、そういう気分の浮き沈み、心の大波小波の間に、良くもなければ悪くもない、とくにどうということもない平常な「時」と「間」を持っているかどうか。 この物語の主人公・店長とは、そういうニンゲンなら誰しもあって然りな「時」と「間」を持たないヒトの別名である。 単に情緒の乱高下が甚だしいだけであれば、極力関わり合いにならないか、適当に無視しておけばいいだけの話なのだが、やつの場合、そういう自分の感情の起伏、精神状態の乱れを「Look !」あるいは「I show you!」と、胸を張って堂々打ち出してくるだけに放っておきようがない。 たとえそれがハッピーなほとばしりであろうと、愛のエチュードだろうと、哀愁のカサブランカだろうと、野別幕なく自分の内なる喜怒哀楽のエモーションをむき出しに、すべてが唐突な変調だらけのメロディを尋常じゃないボリュームで奏でられる方は溜まったもんではない。 とにかく、この店長というニンゲンの急転直下まさかの感情気流の激変ぶりを目の当たりにすると、もはやそれはヒトの機嫌や気分の良し悪しという次元ではなく、燃え盛るマグマの火山期、恐竜も滅びる氷河期、そして幾度となく繰り返す隕石やら他の天体との衝突….という地球の周期を見るような一体何がどうなってそうなったのか誰ひとりとして理解不能なスケールの「期」としかいいようがない。いや「紀」と言ってしまってもいいかもしれない。実際、アヒルとチュンチュンの間では、「今、何時?」「今日、何日?」というのと同じ感覚で、「今日、ナニ期?」と店長のエモーショナル周期を確かめ合うのが常である。 それは、暖かな日差しが降り注ぐ春の昼下がり。朝から銀行担当者とのランデブー(予約面談)やオンラインバンクの振込振り替え作業、はたまたクライアントとの見積もり折衝など、次のオイル開発地であるマレーシアでの活動資金を調達するべくなんやかんやとシビアな「お金」の交渉事に追われていた店長。 思うまま心のままに生きられないストレスで今にもはちきれそうな「自分」をこれ見よがしに訴えるかのように、ポッチャリ豊満なボディからひとり切迫したビジネスムードをまき散らし、人が立てる物音や話し声さえ許さないピリピリと神経過敏な空気を発散。かと思えば、ポッテリ突き出た腹にイライラと溜まったガスを大音量で「oops!(ウーップス)」と放出。何のことはない、ただの「屁ぇ」なのだが、そんな「屁ぇ」ごときにも「Are you OK ? 大丈夫?」と労ってほしげな沈痛な面持ちを崩さないヤツに懸けてやれる言葉があるとすれば、「だから、なんやねん!!!」… それしかない。 そんなある日のアヒルとチュンチュンの交信記録。 アヒル「今日の店長、かれこれ5時間、ひとりイライラ、カリカリ、ひとこともしゃべらず石油仕事してる」 チュン2「どうもオイルビジネスの資金繰りが大変らしいねんけど、やるせなくうなだれ落ち込んでるだけなら、かわいそうにと慰める気にもなるけど、よ。自分1人がしんどい目に遭ってるような攻撃的な苛立ちを嫌みたらしく押し出してこられたら、誰も手を差し伸べたくなくなるで」 アヒル「そんな店長の重苦しい負のオーラが、次から次へ災厄を引きずり込んでる状態や。今、DHL(国際宅配サービス)やらFree(ネットサービス会社)にファーークッ!ファーーーック!激怒の電話。問題しか発生しないギャラクシー」 チュン2「陰々滅々、自業自得の海原を負の地引き網を引きずって沈む店長の難破船。本日もウツ大漁!やな(苦笑)」 その翌日ー アヒル「まさに今、世のウツを地引き網でごっそり引き寄せてる!保証金を返さない前の大家に怒り狂って怒鳴りつけてるわ~」 チュン2「凄いな… ウツ大漁丸」 アヒル「もう、大漁すぎて。ギャラクシーからシャポン通りに溢れ出てるがな。てゆうか、店長がむっちゃ咳き込み出した。風邪やな」 チュン2「おのれの辛気におのれがやられた恰好やな。大体、いっつも、難破期の末期には風邪引きよるねん」 アヒル「ほんまに… 面倒くさいな(苦笑)」 そしてこの夜、追い詰められれば追い詰められるほど他者への攻撃によって自分を守ろうとする店長のとげとげしいものの「言い方」に堪忍袋の緒が切れたチュンチュンは、56戦目の壮絶バトルへ突入。日本へ帰国する決意も56回目、国際引越サービスにいったい何度目かの見積もりを「今度こそ」と依頼する毎度おなじみの展開である。 けれど、そんな決定的な別れの際に至っても、欧米ラテン店長のポジティブシンキングは「修復可能」を疑う余地なし。 つい3秒前まで鬼か悪魔の形相で、ウワーッと「そこまで言うか?」と呆れるしかない自己正当化オンリーの英語をまくし立て、人のことをさんざん非難し罵倒し続けていたくせに、「終わり」となると、ひょっと憑きものが落ちたみたいに今度は弱々しくか細い声で「僕は今、風邪を引いてとてもつらいんだ。僕のケアをしておくれ」と 、ゲホゲホ今にも死にそうに、雨に濡れ捨てられた子犬のような瞳で泣きつかれる阿修羅の地獄。 死んでくれ、消えてくれと、勘弁ならん仇(かたき)でも、病人となれば斬り捨てることも見捨てることもできず、ならぬ堪忍するが堪忍、ぐっと堪えて生姜湯を作ってやる、ああ情けない徒情け。 憎い姑の世話をする嫁の気持ちというのはこういうものかと、コブラVSマングースの戦いはこうしてわけがわからぬままうやむやに、なし崩し的に決着をみないまま、ハニーの星は、今日も今日とて唇噛みしめひたすら同じ轍を踏み続けるしかないのである。   たとえ今日という日がどんなに納得いかずとも、憤懣やるかたない夜の霧に包まれたわたしの心はいつだって丑三つ時であろうとも、それでも日はまた昇る翌朝。 とりあえず、お昼の店長係のアヒルへ、本日の店長の「期」をお知らせ。 チュン2「おはよう。今朝は昨日の難破船のヘドロのウツから一変。明菜中森の大丈夫じゃない笑顔を見せてるわ」 アヒル「店長、大丈夫か?その笑顔が一番やばい…。あっ、今、難破船が到着。昨日と打って変わって、ずーっとしゃべってる。わたし、まるで徹子店長の部屋に招かれたゲストのごとく… これ、いつまで続くんやろっ!」 チュン2「自分が確認したい情報を人を相手に「対話」で行うのが徹子なら、自分の感情を無理矢理にでも共に分かち合おうとする店長。どっちも、そこに招かれた方は “なんとも言えん” っちゅうこっちゃ….」 ということで、ただ感情的というだけでは言い表せない店長のエモーション。うんざりとでもご理解いただけただろうか…。 ところで、そんな店長の「期」は、人の感情を喜怒哀楽の四文字で表すように、以下の通り、およそ4つに分かれる。 ◆エンジェル期         47歳のオッサンとは思えない無邪気で純真な笑顔をたやさず、終始、天真爛漫な弾けっぷりでハッピーオーラ全開。いったい何がそんなに嬉しいのか誰も意味が分からない原因不明の喜びと感動に恍惚と身をよじらせながら下手な歌と踊りでキャンキャンほたえまくり、見る者をあ然とさせ、途方に暮れさせる。 路上やメトロのホームレスや物乞いへの思いやり、街で道に迷った人や困った人への親切もやり過ぎなほど、表情も言動もやることなすことここぞとばかりにエンジェル化。 ◆鬼姑期 我がが、我ががの自己中心的な傲慢さ、人を人とも思わぬ非情な言葉、重箱の隅をつつくような嫌味な言動が噴出。「自分は悪くない、もし自分が悪いとしても、悪くしたのは、Because of YOU!キミのせいさ!」というトチ狂った自己肯定=アイデンティティと被害者意識が混然一体となって炸裂するこの鬼姑期には必然的にチュンチュンとの衝突バトルが頻発。 そしてバトルに付き物のチュンチュンの帰国準備とともに、店長はひとりぽっち誰もいない深い孤独の海の底へ… という流れで、次に来るのが難破船期である。 ◆難破期(AKINA 中森) もはや救いようのない陰々滅々とした孤独と絶望のヘドロをまき散らし、そのあまりの辛気くささに初夏の太陽も引っ込む「期」。松本清張「砂の器」のクライマックスを地で行く「生きる悲しみ」なのか何なのか、ひとりよがりに自ら織り上げた難破期特製「負の地引き網」で、次から次へと最悪の事態を引き揚げるその様から、「ウツ大漁期」ともいう。この「期」の特徴として、全く何を言ってるのか聞き取れない弱々しい声、絶対に大丈夫じゃない笑顔があげられる。   ◆巡恋期(TSUYOSHI 長渕) どんなに愛を叫んでも、「もうええって」と流される。こんなに唇突き出しせがんでも「なんでやねん」と拒まれる。いつまでたっても求める愛を返してくれないチュンチュン、いや、ロマンチックを許さない浪花魂に業を煮やした店長がジワジワと壊れ始める混乱期。「ジュテーム!(愛してるよ!)」「モワ オシィ(わたしもよ!)」というフレンチ式カップルライフをやってみたい衝動を抑えきれず、ついには「ジュテーム!」「SAY!カモン!」「モワ オシィ~」と、長渕剛・桜島ライブのごとく「セイッ!セイッ!」とひとり熱狂&絶叫。チュンチュンのみならずアヒルにまで「アヒルちゃんは僕のことをキライなんだよね。分かってるヨ。でも僕はそれでもいいんだ!」などと、愛されている実感を手当たり次第に欲っしまくる。アフリカ、マレーシアなど、石油仕事で旅立つ前にこの症状が高まる。   以上、いずれかの「期」がジェットコースターのごとく上昇下降を繰り返し、うねりをあげて展開する店長の情緒不安。その合間、合間には、苛烈な危機感と異様な真剣味がうっとうしい「天知茂 THEシリアス期」、理解不能なアムールを煮えたぎらせる「松崎しげる愛のメモリー期」、さらには、さんざん人を振り回し疲れさせておきながら「僕、もう疲れたよ」と、これがフランダースの犬であればパトラッシュが最期の力を振り絞り「おまえがゆうな !!」とのど笛食いちぎる勢いで噛みつきたくなるような “ ひとりよがりのひとりぼっち” を全面に打ち出してくる「フランダースの枯れスス期」など、どこまでも面倒くさい「期」が様々に挟み込まれ、散りばめられたギャラクシー。 なんとなく何ごともなく穏やかに過ぎていく「時」や「間」は、ここには決して巡ってこない。 というわけで、以後、パリのギャラクシーを訪れる日本の方々には、気温と服装以外にもうひとつ、店長の「期」のチェックもお忘れなきように(苦笑)。